「好きなもの」を堂々と言えない場面ってあります。その場に同じジャンルで自分よりも「好き度合いが高い人」がいそうな場面、確実にいる場面。「好き」を追求してその物事について多くを知ることは全然良いことだと思います。でも、一方で、「比べたら度合いは低いけど好き」という立場の人も中にはきっといて(僕がそうです)その立場からすると、なんかちょっと息苦しいなとも思う時があります。量は確かに一つの指標ではあるけれども、そういう時に発想を変えて「自分なりの好きポイント」的な軸で考えて、さらに周りもそれを面白がる(腹抱えて笑うような事ではなく)、そういう社会がいいな、と思ったりします。
普段は、そのひとなりの「これ良くない?」で良いのではないか?と思っていて、しかし、量で比べてしまった時に「(すごい好きの人に比べたら多少好きの部類だけど)自分的に魅力がここ!」という言い方がその人なりにできるような、、度合いとは違った軸で言えるようにしておけないかな?と。
「好きになるのにいちいち理由はいらない」ですけどね。でも、言語化しておいても良いのではと思いました。
ちょうど、僕にもそういったものがあったので少し掘り下げてみました。
自分なりの好きを説明をするために、どうして?なんで好きなのか?をなぜなぜを繰り返すことをで掘り下げてみました。本質的思考というようです。(トヨタ式なぜなぜ分析です5回くらい繰り返すそうですね。)
1 僕はDJを見るのも、するのも好きです(現状、家の中で・・・)。
2 既存の音楽をその人(DJ)がかけることによって、また違う曲同士をかけあわせることで、新しい聞こえ方がするからです。また違う音に触れられるのも魅力です。
3 「この曲、選曲良いな!」が同じ空間でシェアされて「これ良いよね!」と共感が広がるからです。
4 音楽の持っている価値を複数人と共感できると、人と繋がっている気がするからです。
5 人と繋がることで仲良くなったり、仲間が増えるきっかけになったり、情報を共有できたり、さらに詳しい人に出会えたら、自分の興味のある音楽をさらに深く知ることができたり、興味が湧いてルーツを辿ったり、また、その人づてで世界が広がったりするからです(そのおかげでたくさんの友人に出会えました…そう考えると音楽の力はすごい)。
僕の場合、こんな感じでしょうか?
「好き=たくさん知っている」というのは、一つの側面ではあると思います。でも他人の主観に支配されず、自分の主観で良いので、自分なりに何で好きかを分かっていれば良いのだと思います。10人いたら10通りの考えがあるのと同じように、好きのポイントも人それぞれだと思いますし、同じだったとしても全然問題無いなと。量を求めると上には上がいるので、せっかく好きなことなのに、あんまり好きじゃ無いのかも?と思えてきたりしますし。
何で好きなのかを掘り下げておくと、自分のことを知るきっかけになるかもしれないし、人と繋がれる良い機会に、使えるのではないでしょうか?
繰り返しますが、好きになるのに理由はいりません。
ただ、言語化しておくと、好きな物事を他人に影響されず大事に持っておけると思うし、
自分を知るきっかけになるかもしれないし、コミュニケーションにも使えて良いのではと思います。
(それで繋がりも広がれば、自分の人生もより豊かになったり…するかも。)
読んでいただきありがとうございました。
※あくまで長尾個人の考えです。予めご了承ください。
※写真のレコードは家にあるものを適当に引っ張ってきたものです。偏ってます。
しかも左下は何故か「甲斐バンド」です。ジャケットで買いました。